2009年8月19日水曜日

千文字小説

昨年秋から、千文字小説 というサイトに水分茶屋を舞台にした話を投稿していました。



東 裕治朗 のペンネームで何作か書いたところで、実際の水分茶屋を作り初めてしまったため忙しくて中断していました。

その中でも一番評判良かった作品を一つ。

又、連作はじめないと、、、、、






水分茶屋-中川口物語 暮れ六つ




「逢魔が時をご存知か」
その客は突然、主の籐衛門に聞いた。

「はい、大禍時とも申します。夕暮れ時まだ明るさが残っておりますのに
町に人影がふっと消えて後ろから足音がひたひたと近づいて、、、」

「そう、その事だ。一昨日、実際にあった。」

中川口の水分茶屋の縁台には他に二人づれの客がいたが、茶を飲み終えている。

外は木枯らしが吹き、暮六つにはまだ暫くだったが、客が引けたら早仕舞いしようと
籐衛門は考え、かたづけ物をしていた。

「此処においておくぜ」
二人づれの客は茶代を置き立ち上がった。
「ちぇっ。夏でもないのに幽霊話か。よけいに寒くなっちまう。」
店を出ながら話す声がきこえた。

「お客様、逢魔が時に逢いましたか。」

「そうだ。ちょうど二日前、猿江町の材木置き場のあたりだった。
気がつくと昼間の風がぴたりとやんでいて大川の方へ陽が沈んでゆくのを眺めながら
大横川に沿って歩いていると後ろから足音が聞こえた。
他に人が歩いているのが当たり前だが、なんとなく気になって振り返ると誰もいない。
前をむいても誰もいない。妙に静かな中に自分独りだけが其処にいるのに気がついた。

「むじなに騙されましたな。それとも河童でしょうか。本所には昔から河童の話も
ございます。深川や本所には川が行く筋も流れそんな話を聞いたことも何度か。」

「よしてくれ。思い出しても背筋が寒くなる。」

「申し訳ございません。お詫びに熱燗と漬物などはいかがですか。
いえいえ、もちろん御代はいただきません。さ、どうぞ。」

「その胡瓜の漬物は夏のあいだに漬けておいたもの。古漬ですが酒にも飯にもよく合います。」

「ん、旨い。酒も上等だな。ところで主、今何時かな?」

「はい、ぼちぼち酉の刻かと。」

「そうか、ん、旨いうまい。」

「喜んでいただけたら嬉しゅうございます。ちょうど油揚げもございます。
炭火で炙って醤油を垂らすとこれも酒と飯にぴったりです。」

「これも好い味だな。酒をもう一本くれぬか。なに、金ならある。馳走になるだけでは
申し訳ない。少し金を使わせてくれ。」

「お気使いには及びませんが、酒がお気に召したのならいくらでもお出しいたします。」

「ただちょっと、、、、」
籐衛門は言いよどんだ。

「もうじき暮六つ。陽もくれます。提燈の用意をいたしましょう。」と
店の奥へ行き、襖の陰から客を見ていた。

その客は、酔っ払った手つきで、腹巻から枯葉を出し、
「提燈はいらん。金は此処に置くぞ。」とどなっている。

籐衛門は笑いをかみ殺しながら眺めていた。



千文字小説より

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