2009年9月28日月曜日

水分茶屋のまわり


昨日の日曜日は、水分茶屋の近くを自転車で写真撮影に出かけました。


まずは、すぐ近くの宝塔寺へ
(江戸時代の地図には「法道寺」ともかかれています)

ついでに(すいません)

おじいちゃん、おばあちゃんにも御参りしました。

右側が、塩舐め地蔵
左は六地蔵です。

塩舐め地蔵の説明文



小名木川へ出て、塩の道橋へ。
まだ新しい橋です。
ドラマ撮影にもつかわれてました。



ふり返ると、番所橋(青い橋)と風の丘公園が見えます。




塩の道橋を渡り砂町へ入ります。
仙台堀川公園を南に下ると
葛西橋通りの手前に「大石家住宅」があります。



中に入ると本物の囲炉裏に火が。
茅葺屋根を燻す為です。



裏へ回るとこんな感じ。

手前の歩道と奥の鉄柵が無ければ
本当に田舎の景色です。


(以下、江東区のHP説明文より)


旧大石家住宅

 旧大石家住宅は、江戸時代に建てられた区内最古の民家です。「安政の大地震」(安政2年、1855)でも倒れなかったという言い伝えや、信仰の証として 残された150枚以上もの成田山の御札は、築後150年以上もの長い時間が経過したことを物語っています。その間、安政の大地震のみならず、関東大震災、 戦災、あるいは繰り返し発生した水害など、数多くの災害をくぐりぬけ、大石家の暮らしを支えてきました。

 建築当初の姿を現在に伝える旧大石家住宅は、文化的・歴史的価値を守り伝えるため、平成6年3月に江東区の指定有形文化財(建造物)となり、解体調査を経て、平成8年、仙台堀川公園内ふれあいの森に移築復元されました。

 また大石家では、砂村前面に広がる干潟の海で海苔養殖を手がけていました。養殖は、漁業権の放棄により、昭和30年代中ころで終わりましたが、実際に使用された道具が残されており、この辺りに多く見られた海苔生産者の暮らしぶりの一端を伝えています。


折り返し地点の富賀岡八幡宮
(砂村の元八幡)に到着です。

説明文


正面から鳥居ごしに。



境内ではお祭りの後かたずけの人たち。

週末に祭礼があったようです。



元八幡を後に、東へ向かいます。
間もなく荒川の土手を乗り越えて河川敷に。


釣り船が並んでます。

奥に見えるのが葛西橋です。

その先は・・・東京湾




荒川を北へ登ります。

ちょうど水位は満潮ちかくで、僅かに残った干潟には「トビハゼ」が
(赤マルの中)

去年見たときはもう少し大きかったような?
今年のはまだ赤ちゃんハゼ(3センチくらい)でした。


河原にはススキが生えてます。

でも、以外と少ないんです。

「よし」や「あし」はいっぱいあります。



近くまで帰ってきました。

中川の土手です。

日曜日のため、バーベキューや釣りの人がいっぱい
(がらがらじゃないか?って?)

これでも人が多いほうです!

本とうに、ここ、東京?



夕方に子供達と、上の写真のところでカニ釣りに。

餌は「夕飯用の秋刀魚」を切り身にして持って行きました。

カニも夕飯に?


いえいえ、遊んでもらったら、川に戻します。



最後に今日の移動範囲を地図にしてみました。

水分茶屋から折り返しの元八幡まで

大体、自転車で十五分位です。

寄り道しながら、一時間半ほどでした。



外を自転車でぶらぶらするにはちょうど良い季節です。

また、別なルートに出かけたらお知らせしようと思います。

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